東京学芸大学名誉教授・帝京短期大学名誉教授・元日本女子大学教授
佐島群巳
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佐島群巳さん

菅原昭平著書
最新作の著書
佐島群巳3
 
 

子供の頃のこと

 佐島群巳さんは、江刺郡愛宕村に生まれた。農家の8人兄弟の七男。いつも兄たちの行いや、祖母の優しさに触れながら、幼少期を過ごした。幼いころの遊び場は、家族が働いている水田や畑地だった。耕したばかりのふんわりした土の上を駆けずり回るのが好きだった。小さな足跡をとがめるものはいない。
 10歳から農作業と家畜の世話をする。群巳少年が行う家畜の世話とは、朝夕に餌をやることだ。田んぼの代掻きの「させどり」(指棒ともいう)をしたのも小学校4年生だ。

野良で聞いた父の言葉

 野良で父から教えられたことは、土づくりのこと、種を選ぶこと、地域の人たちと仕事をすること、農作業の段取りのことなど。
 休むことなく働いていた父が、仕事の合間に、「な、ともみ……」と語ってくれた言葉がある。それは「手塩にかければ、作物はよく育つよ。人様には迷惑かけるなよ。人のためになることをすること。人から言われたら素直に『はい、ありがとう』と言え」。
 幼少期、学童期の原体験、ものをつくり育てる体験、父親の一言一言が、群巳さんが教師として、また、一人の人間として、生涯生きる原動力となり、原風景となった。

生命の重さと人間の尊厳

 群巳さんは家族に「兄さんたちと同じように、東京の中学校に行きたい」「予科練を志願したい」と話した。だが、母は群巳さんの企てや願いをことごとく拒否した。
「おまえだけは、東京さ行ぐな。おまえだけは、戦さ行がねでけろ」
 5人の兄たちは戦争に赴いていた。ある日、役場の人が一通の封筒をもって来て、中の公報を母に読んであげた。
「南海洋派遣 佐島賢治郎は ニューギニア沖で戦死せる」
 母はその公報を握りしめ、無言で6畳の仏間に閉じ籠り掃除をした。群巳さんも、母の思いを察して、2時間もかけて家じゅうを掃除する。兄の死を惜しみ、悲哀にむせぶ母の姿を見て、「生命の重さ」「人間の尊厳性」を痛いほど感じた。

終戦の決定

 岩谷堂農林学校1年次の8月15日。その日は学校の校庭を耕し、ジャガイモ栽培することになっていた。正午に重大ニュースがあるというので、ラジオの前に集まった。
 よく聴きとれなかった。みんな青ざめた顔で、「戦争に負けた」と精気を失っていた。誰かが「日本が戦争に負けるはずがない。神風が吹くはずだ。世界最強の軍隊は一体どうなった」と言った。信じていたものが一挙に瓦解した。
 このとき、16歳の群巳さんは、瞬時にこう考えた。「これからが本当のことが勉強できる。これから本物を学ぼう。一生学ぼう」。
 群巳さんの青春前期は、戦争に翻弄された時代であったとともに。愛宕村が二つの災害に見舞われた時代でもあった。
 アイオン台風による北上川の堤防決壊で耕地が流失し、佐島家では床上1メートルの激流が壁を貫いた。下川原集落30軒が全焼する大火にも見舞われた。

教師への道 本物を学ぶ充実感

 群巳さんは、念願叶って1948(昭和23)年に上京した。小学校教師の従兄弟を見習い、師範学校に入学。翌年、新制の東京学芸大学に入り、教師養成の道を歩み始めた。
「教師になるためには、人間として自分自身を成長させる以外にない」
 群巳さんは、連日、上野図書館や国会図書館(現在の赤坂離宮)通いをし、未知の世界が開かれていく。
 大学卒業時には、主任教授から高校教師になることを勧められた。群巳さんは断り、自らの希望通り、公立小学校の教師となった。
 教師になって3年目、東京学芸大学附属小学校に赴任した。附属小では、「授業づくりの基本と実践、授業分析」「人間関係形成の学級づくり」「授業のこと、子どもの成長、つまずき研究無くして教育的学問研究なし」と、日々先輩教師から強烈な叱咤を受けながら、子どもたちに向き合う。厳しい指導だったが、まさしく「一意専心」の「本当のこと」「本物を学ぶこと」の充実感を味わった。

環境教育と教育臨床学の研究を深める

 群巳さんは学校テーマ研究のほか、お茶の水女子大学の小口忠彦教授と共に、「授業と認識・思考・発達課題」「人間関係と学習」などについて、共同研究をしている。
「私たちの研究同人の共通感覚は、フィールドで教材開発を行い、その教材の適切性、有効性を授業で実証すること。一つのテーマは、10年研究である。小学校教師時代に学んだことが、後の大学教育の研究基盤を確実なものにした」
 佐島さんは現在、長年にわたって取り組んできた環境教育の研究を、さらに深めるとともに、長く追い求めてきた「授業臨床学」の実例研究をまとめている。

 ■PROFILE■ さしま ともみ

昭和22年3月 岩谷堂農林学校卒業(林業科第2回)。昭和28年3月 東京学芸大学卒業。
昭和4年、江刺郡愛宕村生まれ。東京都小金井市在住。

平成9年10月25日、岩谷堂農林同窓会創立50周年記念講演会。演題は「なぜ環境が問題か〜地球が滅びないために」。生徒、卒業生、PTAほか約300名が聴講。

[略歴]
昭和23年4月、東京第二師範学校本科に入学。昭和24年4月、昭和28年、東京学芸大学社会科甲類(地理学)に入学。昭和28年3月卒業後、東京学芸大学附属小金井小学校勤務などに勤務。この間2年間、日本大使館員として、タイ日本人学校で教鞭を執る。
東京学芸大学教授、日本女子大学人間社会学部教授、帝京短大学子ども教育学科教授、星槎大学(非常勤)を歴任。東京学芸大学名誉教授、帝京短期大学名誉教授。

[経歴]
平成3年、文部省『環境教育指導資料(中学校・高等学校編)』作成協力者。平成4年、文部省『環境教育指導資料(小学校編)』作成協力者。日本社会科教育学会会長、日本環境教育学会運営委員、日本教材学会常任理事ほかを歴任。日本生態系協会顧問。
講演回数662回。国際シンポジウムに54回参加(基調講演7回)。NHKに29回出演。
社会科教育、環境教育、放送教育に関する学術論文の執筆110本以上。学習用図書の発行25冊以上。

[主な著書]
昭和54年 農業学習の新構想と発展(編著・明治図書)
昭和58年 社会科授業づくりの基礎・基本(明治図書)
昭和61年 「環境を見つめる」学習と方法(共編著・教育出版)
昭和62年 演習 社会科授業研究(共編著・教育出版)
平成2年 伝統と文化に学ぶ社会科学習(編著・東洋館出版社)
平成4年 地球科時代の環境教育(全4巻)(共編著・国土社)
平成4年 新社会科授業論(編著・教育出版)
平成6年 小学校環境教育ガイドブック(共編著・教育出版)
平成6年 中学校環境教育ガイドブック(共編著・教育出版)
平成7年 新学力と学習(共編著・三晃書房)
平成7年 感性と認識を育てる環境教育(教育出版)
平成7年 環境マインドを育てる環境教育(教育出版)
平成13年 環境教育の基礎・基本(国土社)
平成20年 青少年環境教育(黄育紅訳・上海教育出版社)
     (原書「環境マインドを育てる環境教育」)
平成26年 宮澤賢治の環境世界(国土社)

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