岩谷堂高等女学校、最後の入学生
太平洋戦争中は、女学校でも挺身隊を組織させられた時代。梅津(旧姓菊地)末子さんたちより4学年上の岩谷堂高等女学校の生徒は、勤労動員にかり出され、神奈川県などで軍需産業に従事させられた。中には空襲の中、命からがら帰郷したという生徒も多い。
末子さんが岩谷堂高等女学校に入学したのは、終戦後の昭和21年4月。勤労動員はもうなかったが、教科書に墨を塗って学んだ。
昭和23年4月、新しい教育制度のもと、全国で新制高校が発足。岩谷堂高等女学校も、男女共学の岩谷堂高等学校として、再出発をした。
「女学校を4年で終わるはずが、併設中学校に入り、そこから岩高に進みました。でも、ずっと同じ校舎でしたよ」と末子さんは当時を振り返る。
女子バスケ部を創設、県弁論大会で優勝
敗戦により何もかも失った時代だったが、得たものが全くないわけではなかった。それは「自由」だ。
重苦しい戦争の雲が霧散し、新制高校生による文化、スポーツ両方の活動が一気に活発化した。岩谷堂高等学校でも、演劇発表や弁論大会が盛んに行われるようになった。
末子さんは、さまざまな活動に精力的に取り組み、陸上競技などスポーツも頑張った。当時、岩高のバスケットボール部には、男子部しかなかったが、そこに女子部を創設したのは、末子さんと仲間たちだ。
末子さんは弁論部でも活躍した。校内弁論大会で入賞し、県大会に岩谷堂高校代表として、菊池透さんと共に出場した。まだ講堂に照明設備がなかった時代。日が暮れて暗くなった講堂で、末子さんたちは練習を重ねた。
岩手県公会堂で開催された県大会で審査の結果、末子さんは2位に、菊池透さんが4位位に入賞。岩谷堂高校は団体優賞に輝いた。
推薦されるも大学進学を断念
料理に興味を抱いたのは岩谷堂高等女学校、岩谷堂高等学校に在学中。末子さんは家庭科が大好きだった。成績も常に上位だったので、3年生になると、家庭科の先生から家政系の大学に推薦すると言われた。せっかくの学校推薦だったが、末子さんは家庭の事情からそれを受けず、進学を断念せざるを得なかった。
結婚し、普通の主婦の道を歩んでいた梅津末子さんが、料理の道を歩み始めたのは、子育てが一段落した30代の頃。自作のレシピを料理コンクールに応募し始めた。
40代のころは、ずっと料理コンクールに挑戦していた。だが、準優勝や3位が続き、なかなか優勝まで届かない。
「ようし、トップを取るまで頑張るぞ」
梅津さんは、「負けず嫌いの岩谷堂根性に火が付いた」と話す。
グランプリの副賞に仰天
これらの努力が見事なまでに結実する。
料理コンクールで2位、3位に甘んじていた梅津さんだったが、その人生を劇的に変えたのは、大手食品会社が主催した料理コンクールでの優勝だった。
マヨネーズの国内最大手、株式会社キューピー主催の料理コンテストに応募。岩手県代表となり、昭和51年、全国大会でついにグランプリを受賞した。
ようやく手にした最優秀賞。受賞の喜び以上に驚いたのが副賞の豪華さだった。なんと副賞はスペイン、フランスなどヨーロッパへの研修旅行。
「夢のような旅でした。料理をずっと続けてきて良かったと思いましたね」
マヨネーズ発祥の地、スペイン・メノルカ島で行われた料理大会にも参加してきた。
海外視察や研修への参加は、今でも多い。梅津さんのパスポートはスタンプだらけだ。
女子栄養大の通信講座で学ぶ
「バランスがとれた料理を食べることで、みんなに健康になってもらいたい」
50歳の頃、「料理を栄養学として、きちんと学びたい」という気持ちが梅津さんに芽生えた。そこで一念発起。栄養学の名門・女子栄養大学の社会通信教育課程を受講した。高校時代から、ずっと憧れていた大学だった。
たくさんの課題をこなした。スクーリングのため、数え切れないくらい何度も東京へ通ったという。女子栄養大学がまだ、東京・駒込にキャンパスがあった時代である。
「人の3倍は勉強したんじゃないかな」
女子栄養大学で「栄養と料理」ほか3講座を学び、昭和61年に修了した。この通信教育を極めて優れた成績で修得したことを評価され、梅津さんは平成元年、社会教育部門の文部大臣賞を受賞している。
「文部大臣賞は、これまで通信制で勉強し、頑張ったことへ努力賞だと思っています」
岩手県「食の匠」の選考委員に
街にはファストフードの店が立ち並び、スーパーでは、簡単に調理できる食品が数多く販売されている。
「便利になってはいますが、一方で体調を崩している人が増えています」と梅津さんは、昨今の食生活を危惧する。
近年は国内のみならず、海外からも栄養バランスのとれた日本食が見直され、注目されている。岩手県では、農山漁村生産者の活性化を図るとともに、消費者が岩手の豊かさと恵みをを実感できるようにと、さまざまな施策を進めている。
これらを促進するため、地域に受け継がれてきた食文化や郷土料理の知識と技術を、次の世代に伝承できる人材を育成しようと設けられたのが、岩手県「食の匠」認定制度だ。
現在、梅津末子さんは、岩手県が運営する「食の匠」認定の選考委員(7名)に、学識経験者の一人として委嘱されている。生産者団体、食品産業関係者、岩手大学、岩手日報社らで構成される選考委員の中で、料理研究家は梅津末子さんのみである。
「食育」の功績により知事表彰を受ける
これまで、テレビ岩手の「5きげんテレビ」ほか県内のテレビ局、新聞、情報紙「マ・シェリ」「フランメ(盛岡ガス)」などの料理コーナーに、数多くレシピと料理法を提供してきた。
県内の小・中・高等学校で、長年にわたって食育に関する指導を続けており、梅津さんは平成28年11月、「食育」推進に寄与した功績により、岩手県と岩手県食育推進ネットワーク主催の県民大会において、食育貢献者として知事表彰を受けた。
梅津さんは現在、環境と食を考える会「駒草」の会長、いわて地産地消推進会議の監事などの役職も務めている。
指導を担当する料理講習会では、盛岡市内の公民館を中心に県内各所で九つの教室(このうち男性のみの教室2カ所)を設けているほか、JAや市町村、ボランティア団体などの依頼により、各地で料理指導を行っている。
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