| 手縫いキルト世界1位を三度受賞  千葉幸子さんは、盛岡市大通りでキルトスクールを主催している。メーン教室である大通りなど、県内8カ所10教室を開いており、受講生は80人を数える。幸子さんがキルト制作を本格的に始めて25年になる。この間、国際キルト協会(IQA)が主催する「国際キルトコンテスト」において、2014年、2015年、2017年の三度にわたり、「メリット・キルティング・ハンド」(手縫い)部門の1位に輝いた。入賞は2013年から現在まで続いている。
 キルトとの出会いは種市町  幸子さんがキルトに興味を抱いたのは、岩谷堂高校で同級生だった銀行員の夫、佳則さんが種市支店に赴任し、家族で県北の種市町(現洋野町)に住んでいたときだった。社宅の近くにキルトを教える教室があり、そこで作品を目にした。「自分にぴったり。これだわ!」と衝撃を受けた。30歳のときだ。もともと幸子さんは、手芸や洋裁に興味があり、子供たちの服などは、自分で縫っていた。
 実家は江刺の稲瀬。農閑期の冬になると、女性たちがコタツを囲み、手芸をする雰囲気の中で育った。母親は洋裁と和裁をし、レースや毛糸で編み物もしていた。祖母や叔母らも手芸をしており、その姿を間近で見て育った。
 キルトを学び、精力的に制作に取り組む  県内のキルト教室で習い、技術力をつけた。自信と楽しさを感じ始めた幸子さんだったが、「今の状態で満足したくない。もっと自分の技術を高めたい」と思った。次第に「自分も指導者となり、キルトの楽しさをもっと広めたい」と考えるように。しかし、地方都市での暮らしているうえ、子育ての真っ最中。都会の学校に通って資格を取得することなど不可能だった。
 通信教育でインストラクター資格を取得  なんとかキルト・インストラクターの資格を取得できる方法がないかと探すと、通信教育で取得できることが分かった。実績のある「高橋恵子パッチワークスクール」(京都市)の通信教育の受講を始めた。
 通信教育を受けることは、自分で決めたこと。自分さえ頑張ればできると、精力的に取り組んだ。一般に修了まで半年かかるものを、幸子さんは次々と課題をこなして指導を受け、2カ月足らず修了した。
 この頃、まだ子供たちは小さかったが、「絶対に子供たちに迷惑はかけない」との気持ちで取り組み、課題制作は子供たちを寝かせてから行った。
 種市町勤務のあとも佳則さんの転勤は続いた。子供たちの学校もあり、幸子さんと3人の子供たちは盛岡に残る。
 トップレベルの技術を学ぶ  インストラクターの資格を取得し、最初は自宅で教室を開いていた。そのうち受講生が増え、盛岡市内の手芸店や川徳百貨店からも講師の依頼が来るようになった。日本国内にもトップレベルの技術を持つキルト講師が何人かいる。幸子さんは資格を取得した後も、その先輩たちの作品にあこがれ、「自分も、あんな作品を作れるようになりたい」と考えた。「直接会って習いたい」。幸子さんは、巨匠と呼ばれる宮内恵子さんと升井紀子さんに師事する。
 長野県在住の宮内さんは、月に一度講習会を東京で開いていた。また、手芸関連の出版、教育事業を展開する「日本ヴォーヴ社」は、インストラクター向けの講習会「キルト塾」を開催していた。幸子さんは、それらハイレベルな講習会の開催に合わせて上京し、より高いキルト技術を学んでいる。
 アメリカで発展したキルト  国際キルトコンテストは、毎年、本部があるアメリカのテキサス州ヒューストンで開催される。なぜ、この地で行われているのか。それはアメリカンキルトの発祥地だからだ。キルトとは、布の表地と裏地の間に薄い綿を入れ、重ねた状態で刺し縫いしたの芸術作品。もともとはヨーロッパの刺繍がアメリカに伝わり、それにパッチワーク技術などが加わり、発展したものだ。
 キルトの発達には、アメリカの生活史が大きく関わっている。西部開拓時代、古くなった服を捨てず、綺麗に再生して使うことから始まった。
 現在は、新しい布を使って制作される。清楚、可憐、豪華さを表現できるキルトの楽しさは世界中に伝わり、愛好者は世界で数十万人と言われている。
 キルトの魅力と日本人の感性   キルトは1枚の布で、さまざまな表現ができるのが魅力だ。人それぞれの感性で絵を描くように表現する。幸子さんは秋に行われる国際キルトコンテストの授賞式に出席するため、これまで7回ほど渡米してる。1カ月前に受賞の連絡が届き、何位以内に入賞しているかが分かる。賞金を伴う上位入賞の場合、授賞式に参加できるよう、仕事と旅のスケジュールを組む。「ミシンで縫うこともありますが、私は手縫いにこだわっています。優しく仕上がります」
 幸子さんは、特に花模様をあしらったキルトが好きだと言う。
 「生花は枯れますが、キルトは心に残ったイメージを布に閉じ込めておける。そこが魅力ですね」
 日本からの出品作は、幸子さんの作品をはじめ、特に手縫いのハンドメイド部門で高い評価を得ている。日本人は手先が器用であることのほか、図案に余白の美しさを表現できるなど、独特の感性が注目されている。
 一方、海外からは、大胆かつ斬新な作品が出品されている。「それはそれで日本人は、なかなか真似できない」と幸子さんは話す。
 
 海外の作家たちと友情を紡ぐ
 コンテストの授賞式に出席するようになると、次なる生きがいが待っていた。アメリカ、カナダ、ドイツ、オーストラリア、インドネシア……。現在、幸子さんと親交があるキルト作家の国籍だ。それぞれ作品を競い合うライバルだが、互いに刺激し合い、励まし合うなかで、海を越えた友情が生まれている。
 「交流は自分が伸びていける原動力。作品を通じて、人の繋がりが広がることが楽しい」
 彼女たちと直に話をしたいと、幸子さんの英会話もどんどん上達していった。
 幸子さんが心を込めて縫う花柄のキルトは、地球という大きな布に、かけがえのない友情の輪を描いている。
 
 「奇跡は準備している人に訪れる」
 
 キルトの制作は、構図を決めることから始まり、完成まで長い時間かかる。大型作品の完成には、1年半もの日数がかかることも。
 「私は受講生に、作品展であなたの作品を見たいろんな人が、『この作品、いいね』と話している姿を思い浮かべて縫ってみて、と話しています」
 幸子さんが人生経験の中で、心に留め置いた次の言葉を後輩に贈る。
 「奇跡は準備している人に訪れる。努力を続けていれば、必ずチャンスが回ってくる。準備していない人には訪れない。皆さんには、常に、がむしゃらに準備をしていてほしい」
 
 
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