「軍馬の帰還」でビーケーワン怪談大賞
勝山海百合さんは、2006年に「軍馬の帰還」で第4回ビーケーワン怪談大賞を受賞した。この作品は応募のために、初めて書いた800字の短編。
大陸の戦場に駆り出された軍馬の幻めく帰還を少年の視点から描き、選考委員の東雅夫氏、加門七海氏らを感動させた。
「軍馬の帰還」は、『てのひら怪談 ビーケーワン怪談大賞傑作選』(2008年、ポプラ文庫)に所収されている。「ビーケーワン怪談大賞」からは、のちに錚々たる才能が世に出た。
勝山さんは「わけても第3回大賞の我妻俊樹の「歌舞伎」は記憶に揺さぶりをかける傑作。内容は歌舞伎とは、ほとんど関係ないが読んだらタイトルは『歌舞伎』以外にないと思える」と語る。
怪談文学史の正系を受け継ぐ
2007年、「竜岩石」で、第2回『幽』怪談文学賞の短編部門優秀賞に輝いた。
「選考結果を知らせる電話を待っていたら、先に『幽』の公式サイトで発表されたので、緊張せずに電話に出られたことを覚えています」
ビーケーワン怪談大賞の選考委員でもあった文芸評論家の東雅夫氏は、「怪談の一源流たる中国志怪風の世界を現代的なセンスで自家薬籠中のものとしており、地に足がつかない浮遊感覚とでも呼びたくなる不思議な味わいには得がたいものがある」と選評を述べ、評価している。
また、東氏は「竜岩石」を所収した『竜岩石とただならぬ娘』(ダ・ヴィンチ文庫)の巻末で寄稿のタイトルを「アジアの海百合」とし、勝山さんの執筆活動を「わが国における怪談文学史の正系を、遙かに受け継ごうとする試み」と述べ、讃えている。
日本ファンタジーノベル大賞を受賞
2011年、勝山さんは「さざなみの国」で、第23回日本ファンタジーノベル大賞を受賞した。同賞は、ファンタジー小説を対象とした公募型の文学賞。読売新聞社と清水建設が主催、新潮社が後援した。
「さざなみの国」は、古代中国を舞台の伝奇ファンタジー。運命を変える旅に出た、さざなみ少年が出遭う不可思議な出来事。やがて、さざなみの身体に潜む不思議な力が人々の運命を変えていく物語であった。
選考委員の荒俣宏氏は「心をじわりと癒す漢方薬小説」と感想を寄せている。
『只野真葛の奥州ばなし』を現代語に訳す
『只野真葛の奥州ばなし』(2017年刊)は、仙台市の出版社、荒蝦夷の土方正志氏から、「只野真葛の怪談実話集『奥州ばなし』の現代語訳をやって欲しい」と依頼を受け、数編を訳したのが始まり。
「真葛は江戸の文学を研究している人にはよく知られているが、一般の読者にはそれほど知られていないのでもっと読まれてほしい」
荒蝦夷発行の雑誌『仙台学』に連載となり、のちに単行本として刊行された。
「震災直後に『仙台学』の誌面が震災一色になったときも、江戸時代の怪談が何食わぬ顔で載っていたが、あれは良かったと思う。只野真葛は、『赤蝦夷風説考』の著者、仙台藩医の工藤平助の娘として江戸に生まれた。真葛(本名はあや、あや子)は幼い頃から聡明で和歌を能くした。仙台藩士只野伊賀の後妻として仙台へ赴いた真葛は不思議な話、興味深い出来事を聞き集め書き記したが、紀行文も目の前に景色が広がるようで素晴らしい。水茎も麗しい」
只野真葛の評伝に、門玲子氏の『わが真葛物語』(藤原書店)がある。真葛作品そのものは鈴木よね子校訂の『只野真葛集 叢書江戸文庫』(国書刊行会)で読むことができる。
県高文祭文芸部門で優秀賞
勝山海百合さんは、岩谷堂高校普通科在学中、美術部に所属したが、勝山さんは「不熱心だったと思う」と振り返る。
岩高在学中のとき、第7回岩手県高校総合文化祭文芸部門(小説)で優秀賞を受賞している。
SF同人誌「ボレアス」のこと
中学3年生のとき、雑誌でSF同人誌「ボレアス」の同人募集を知り入会。執筆活動を始める。
「ボレアス」は、ギリシャ語で北風という意味である。宮城県石巻市に在住の菅原豊次氏が50歳を過ぎてから発行した創作のSF同人誌だった。菅原氏のペンネームは嬉野泉。菅原氏は内科医だったので、勝山さんは先生と呼んでいた。
「SFともいえないような掌篇を投稿すると、会誌『ボレアス』に載せてもらえるのが嬉しかった。菅原先生は拙文の良いところを大げさにほめてくれたが、今思えば教育的配慮だったと思う。ありがたいことだ。独特な崩し字の葉書をよくもらった」
後年、菅原氏は小説の寄稿に専心し、『ボレアス』の編集は、人に任せるようになっていた。菅原豊次氏は、2011年3月、東日本大震災による津波で奥様とともに亡くなられた。
『ボレアス』、およそ30年の歴史は、こうして幕を閉じた。
宮城学院短大、そして清泉女子大へ
岩高卒業後、宮城学院女子短期大学に進学。教養科文化コースに「なんとなく面白そうだったので入学した」。
宮城学院女子短大を卒業。会社勤務をしたあと、清泉女子大学文学部国文学科に入学した。
清泉女子大学での卒業論文は、高村光太郎の「猛獣篇」について。勝山さんは「凡庸な出来」と自己評価する。清泉女子大学では、「キリシタン版(イエズス会が刊行したローマ字の書籍)や近世の怪談についての演習、東洋美術(日本の平安以前の仏像)の講義が興味深かった」と言う。
岩手日報社「北の文学」で優秀賞
1995年5月発行の『北の文学・第30号』で、勝山さんの「草原」が優秀作に選ばれた。社会人になって初めての受賞だった。
勝山さんは前号の『北の文学・第29号』で佳作に入選していた。
「佳作になったあと、次は優秀賞をとろうと考えていたとき、PSY・Sの『ERRTH〜木の上の方舟〜』を聴いていて、ひらめいたのは覚えています」
続く同年11月発行の『北の文学・第31号』には、「鬼雨」が掲載された。文中、主人公が卒業した高校のグラウンド工事で、遺物が出土したという内容の記述がある。
中国の文化に関心を持つ
『北の文学』優秀賞作の「草原」には、中国の文化に関する記述があり、またその後の勝山さんの作品の中にも、中国やアジアを舞台にした作品が数多く見られる。
中国に関心を持ったきっかけは、教科書に載っていた魯迅の「故郷」と中島敦の「山月記」を読んだからだと言う。
また、第1回日本ファンタジーノベル大賞受賞作「酒見賢一の『後宮小説』や、仙台在住当時、東北大学で上映された中国映画がきっかけで中国文化に引かれた」とも語っている。
『幽』怪談文学賞の授賞式で、勝山さんは「魯迅や中島敦には及ぶべきもありませんが、少しでも近づけるよう精進し、書き続けたいと思います」と挨拶。今後の執筆活動への並々ならぬ情熱を語った。
|