岩高の医療系クラスで学ぶ
テレビ出演やCMなどでお馴染みの安部香里さん。フリーアナウンサー、CMタレント、モデル、美容セミナー講師など、多方面で活躍をしている。
香里さんが岩谷堂高校を志望した理由は、総合学科があったからだ。中学3年のとき、学校見学で岩谷堂高校を訪れ、総合学科が大学のように、自分でカリキュラムを組めることに魅力を感じた。
加えて当時のセーラー服に憧れた。黒い制服に衿の赤いライン。そのデザインが素敵だったと言う。2年生になると原付免許を取り、稲瀬の自宅からスクーターで館山へ通った。
3年生のときは3組だった。この3組は医療系に進む生徒たちが集まるクラス。みんな看護師や医療・福祉関係への進学や就職を目指しており、授業には看護学校の見学や看護実習なども含まれていた。
「家庭クラブ」で全国へ
全国1000校以上が加盟している高等学校家庭クラブ連盟という組織がある。その岩手県連盟事務局校の順番が、香里さんが2年生のとき、たまたま岩谷堂高校に回ってきた。そのとき、世話役に手を挙げ、引き受けたのが香里さんだった。
香里さんは、岩手県の家庭クラブ生徒副会長(生徒副代表)となり活躍する。
滋賀県大津市で研究発表大会が開催された。そのときのテーマは「環境」。岩手県の代表は大野高校だった。香里さんは討論や発表に参加したり、報告書を書いたりと大変だったが、大きなやりがいを感じた。岩手県内で開催された報告会にも参加した。
「おかげで、全国いろいろな場所に行かせてもらい、日本中に友達ができました」
3年生になった香里さんは、引き続き家庭クラブの活動に取り組み、岩手県家庭クラブ生徒会長(代表)となった。
「活動を通じて、いろんな人の話を聞くことができ、とても面白いと思いました」
この経験もあって、県立大在学中は「看護師でも、病院内の勤務ではなく、訪問看護とか、外で患者を診る仕事に就きたい」と考えていたという。
弓道部を立て直し主将に
香里さんには武道好きの一面がある。江刺第一中学校では、剣道部女子の主将を務めた。
香里さんが岩高入学時、弓道部は存亡の危機にあった。それを立て直したのは、香里さんと仲間たちだ。
入学時の弓道部員は、3年生が二人だけで2年生がゼロ。香里さんは小、中学校と剣道をしていたが、叔父が弓道の有段者であり、実家に立派な矢が飾ってあったこともあって、弓道にも親しみと格好良さを感じていた。
現状を目の当たりにし、「弓道部を立て直さなくては」と使命感にかられた。親友と一緒に校内をまわり、入部をお願いして歩いた。すると男女合わせて27人が集まった。
やがて弓道部長となった香里さん。休みの日には、経験者の菊地新吉先生に弓道場に来てもらい、指導を仰いだ。
「岩高のときに着た弓道着は、今でも大切に持っています」
仲間と共に、いろいろな大会に挑んだ弓道部での青春。香里さんにとって、岩高在学中の忘れられない思い出だ。
病院勤務に内定していたが
香里さんは、岩手県立大学看護学部に学校推薦で合格した。県立大の4年間は、看護師を目指す勉強と馬術部の活動に明け暮れた。
大学4年の秋、看護学部の第4期生90人全員の就職先が決まる。あとは卒業研究論文の提出と、2月に実施される看護師国家試験を受験するのみ。香里さんも青森県内の病院に就職が内定していた。
しかし、そんな時期にもかかわらず、香里さんの胸の中には、なぜかモヤモヤがくすぶっていた。試験勉強をしながら、「私の人生は本当に看護師になることなのだろうか?」と、自問自答する毎日を送っていたという。
突然訪れた人生の転機
県立大4年生の10月、突然、人生の転機が訪れる。ある美容院から「香里さん、カットモデルをしてもらえませんか」と声をかけてもらった。このとき撮影を担当したカメラマンから「雑誌のモデルをしてみませんか」と話があり、さらに香里さんの存在が雑誌の編集者、制作会社の社長へと伝わっていった。
そして、いきなりミニドラマの主演が決まる。さらに雑誌のモデル撮影、CM出演と、思いもしなかった出来事が次々と起こった。
この間、わずか数週間。まるで何かに引き寄せられるかのように、運命が変わった。
両親から猛反対にあうが
国家試験を控えた大事な時期にとった香里さんの行動。友人や周囲からは「香里は頭がおかしくなった」と言われた。
「とにかく楽しい。自分らしくいられる。もっとこの世界を知りたい」
香里さんは、これらを両親に内緒にしていた。「打ち明けるのが怖かった」と振り返る。両親に話すと案の定、「看護師の勉強をさせたのは、いったい何だったんだ!」と猛反対。
気持ちを何度も説明し、国家試験に合格することを条件に、仙台のモデル事務所に所属することを許してもらった。
無事、国家試験に合格することができ、仙台の安アパートで新しい生活が始まる。
オーディションとレッスンを受けながらの極貧生活だった。両親は「どうせ、長くは続かないないだろう」と考えていた。が、のちに香里らしいとも。
「幼いときから、勝手にステージに上がっては、マイクを持って歌っている子供だった。三つ子の魂百まで、と言うけれど、このことかもかもしれないな」とは、お父さんの弁。
多方面で才能を発揮
平成17年、仙台放送の番組でリポーターを始める。平成18年、IBC岩手放送のテレビ番組「じゃじゃじゃTV」のキャスター兼リポーターの仕事が決まった。毎週末、仙台から盛岡入りしては、土曜日の番組に出演する生活が始まった。
このほか、東北各県で放送されるテレビ番組のリポーター、各地イベントでの司会、テレビCMに出演、もちろんモデルとしても活躍中である。
今、私生活での目標は、好きな弓道+馬術を生かし、青森県十和田市で開催される「桜流鏑馬」(※)に参加すること。
自分ができること、自分自身が喜ぶことに正直に向き合い、出会いを大切にしながら、持ち前の勇気と行動力で人生を切り拓いてきた安部香里さん。その才能を生かした多方面での活躍は、これからも続く。
※桜流鏑馬 毎年4月、青森県十和田市で開催される流鏑馬のイベント。女性騎手のみ参加が許される。
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