鹿踊り一家に生まれる
菅野淳子さんの実家は、江刺市餅田。
祖父は奥山行上流餅田鹿踊保存会会長の佐藤慶吉さん、叔父の佐藤則明さんは同流派の踊り手、父の佐藤佳明さんも若い頃にこの鹿踊りをやっていたという。
平成7年の10月、奥山行上流餅田鹿踊りは、えさし藤原の郷の定期公演をひかえていた。だが、踊り手の数が揃いそうにない。そこで淳子さんは、「私がやってみよう」と考えた。
淳子さんは、則明さんに一日じっくり指導をしてもらい、いきなりのデビュー。
銀座まつりでも踊りを披露
しかし、一日稽古しただけで踊れるものなのだろうか。踊り手の仲間に迷惑がかからないのだろうか。
「不安と緊張の中、夢中で踊りました。小さい頃から見ていたので、太鼓のリズムは分かっていましたが、実際踊ってみると、叩き方が全然合っていませんでしたね。鹿踊りは女性が踊ってだめだということはありません。踊り手の仲間から、『これが本当の牝鹿だなあ』などと言われると、つい張り切ってしまいます」。
鹿踊りの装束は重さが15キロ近くある。淳子さんが纏う牝鹿の装束はそれより少し軽めなのだが、それでもかなりの重さだ。普段使わなかった筋肉を使ったものだから、踊ったあと、何日も身体が痛かったという。翌年、淳子さんは、江刺甚句まつりやお盆の百鹿群舞、銀座まつりにも出て踊った。踊り終え、頭の幕を上げると、「女性だったんだ!」とお客さんから驚かれた。
「銀座まつりはビルが立ち並ぶ中で踊るので、その反響音がなんともいえませんでした。しかし、今思い返すと、一番最初、藤原の郷での踊りが印象深く心に残っています」
「若い人に受け継いでほしい」
平成9年の11月、長男の滉人くんを出産し、淳子さんは今鹿踊りを休んでいる。復帰はいつ頃になるのだろうか。
「お盆などに踊っているのを見ていると、早く踊りたいと思いますね。私は叩き、動き、歌のどれもが未完成です。演目もまだ『礼庭』しか踊れないので、このほかの演目も覚えたいと思っています。復帰は早くしたいのですが、子供が小さいので大変です」
郷土芸能を受け継いでいるという立場から、若い人たちに一言メッセージを。
「新しいことをするのもいいのですが、江刺には素晴らしい郷土芸能がいっぱいあります。これを若い人たちにどんどん受け継いでいってほしいですね」
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