悲しみの源泉
「詩人を理解するといふ事は、詩ではなく、生れ乍らの詩人の肉體を理解するといふ事は、何んと辛い想ひだらう」……これは評論家小林秀雄の「中原中也の思ひ出」の一節である。この言葉の意味するところは深い。詩人とは職業でも肩書でもなく、ついぞ歌うことをやめなかった悲しみの源泉なのだ。
1963年の詩集『菊花昇天』を処女出版に、これまで詩集8冊、随筆集他6冊を上梓してきた宮静枝さんの13作目は、1995年の『不犯の罪』。人生88年を閲した今なお免罪符を得ることなく、人類の悲しみを哀しんでいる。
文化的気圏に成長
「広瀬の三元老」といわれた県会議員の祖父がいて、まさに旧家に生い立った宮さんは、幼少の頃から論語の素読や和歌、さらにはヴァイオリンに仕舞にと、当時の江刺にしてはめずらしいほどの文化的気圏に成長した。中でも母親からの影響の強い文学への関心は、生涯を決定するものに膨らんでいく。それは、小学校四年頃の親からの禁読令や、岩谷堂高女時代の、登校中に本を読みながら歩くためにしばしば学校を通り過ぎるといったエピソードになるほど徹底したものだった。
ために、愛郷心はあるのだが、文学の思い出と結びつかない限り、通念上の望郷の念はない。それは、時代の宿業に立ち合っているという直感、普遍の悲しみに向き合っているという実感がある限り、世界が青山という覚悟があるからだ。
詩人とは何か
宮さんの弛まぬ詩業を讃する人は多い。その中には「幼童性を持続した稀有な詩人」とか「童女のような笑顔」という言葉が散見されるが、果たして詩人は無邪気たり得るか。
ついぞ歌うことをやめないということは、言葉が湧き出るということだ。それには花のように無防備に、いつも外気に眼覚めていなければならない。怯懦は万死に値する。この、自己防御装置を持たない心に抒情があふれる。それは時に烏瓜の赤さの秘密に迫り、魚鱗は土中にもぐって百合に変容する。そして郷愁はついに蒙古斑にまで至り着くのだ。
「かくも自らの心をいたぶって、私はアウシュビッツへも、ダッハウへも行ってきた。自虐することはいたわりでもあった」……。
「Fania(ファニア)うたいなさい」の末尾に、宮さんは詩人の覚悟をこのように表現している。
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