煮え切らなかった野球部時代
江刺南中のときは野球部だった高野聡さん。だが、市内の駅伝大会に出場して成績が良かったため、岩高に入ったとき、陸上部に入部するかどうか迷った。結局、岩高でも野球部に入部した。
バッティングが好きで入った野球部であったが、左利きであったため、投手をやることになった。3年間野球部で過ごしたものの、煮え切らない高校時代だったという。
青東駅伝出場6回の栄誉
聡さんは共通一次を乗り切って岩手大学に合格。高校時代に納得できなかった分、大学では陸上部で頑張ろうと思った。
岩大の陸上部にはコーチがいなかった。したがって、学生が自主的に練習方法を研究しなくてはならなかった。そのことが、聡さんにとってはかえって良かったという。
「何のスポーツでも押しつけられた練習、やらされている練習じゃ絶対強くなれない。何のためにやっているかを理解し、信じてやった練習が最も身につく練習なんです。高校、大学と異なる環境でスポーツに取り組んで、このことを痛感しました」。
聡さんが青東駅伝(正式には東日本縦断駅伝競争大会)の岩手代表に初めて選ばれたのは、岩大3年のときだった。
青東駅伝は、毎年10月下旬に開催されるレベルの高い駅伝レース。青森から東京まで800キロあまりのコースを7日間にわたって、17チームの代表24人がタスキを繋ぎながら走る。ゴールが箱根駅伝と同じ読売新聞社前とあって、注目度も高い。
代表選手は、選考会と合宿の結果によって選ばれる。聡さんは県で2、3番のタイムを出しての見事な代表入りだった。
聡さんは合計6回、青東駅伝に出場している。成績は区間4位をとったことが2回ある。
「1回目の出場のとき、日刊スポーツの東北版に自分のことが大きく取り上げられて驚きました。このときは玉山村〜岩手県庁前という岩手代表にとっての花形区間を走り、栄誉に感じましたね。このあと1回だけですけれど、江刺市役所〜黒石区間を走ったことがあります。市民の皆さんや同級生たちから大声援をもらったほか、母の実家がある黒石の皆さんからも応援をいただき、とても嬉しかったです」
現在、聡さんは江刺市役所に勤務しながら江刺陸協で練習している。だが、今の職場は残業の多い部署で、あまり練習に参加できないらしい。でも聡さんは、きっぱり「仕事が最優先です」と話す。
「自分は実業団の選手と違い、走ることを仕事にしている訳ではありません。市役所職員である以上、市役所の仕事をきちんとやるのは当たり前のこと。でなければ、同僚や市民の皆さんに対して失礼だと思いますから」
自分をアピールできるのは陸上
辛いと思ったことはなかったのだろうか。
「一つのことに取り組むことは素晴らしいことですが、一方で難しい面があることも確かです。酒のつき合いを断らなければならなかったことや、犠牲にしたこともいくつかありました。それでも陸上をやってきて良かったと思っています。陸上は自分をアピールし、輝くことができる場ですから」
江刺陸協の練習は、江刺中核工業団地の陸上競技場で行われている。ここでは岩高の陸上部も練習しており、聡さんが後輩と顔を合わせる機会も多い。
岩高に対しては、「何かアピールするものを作り上げてほしいと思います。スポーツでも文化活動でもいい。全国に誇れる何かを作ってほしいですね。若いときにしかできないことがいっぱいある。後輩の皆さんには、ぜひともチャレンジしてほしい」と語っている。
聡さんは、これからの抱負を「江刺の競技レベルを上げるとともに、後進の指導と若者が江刺に残って競技を続けられる環境づくりに協力していきたい」と語ってくれた。
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