異能の国際派ミュージシャン
吉田達也さんは、現在の日本の前衛音楽シーンの中でも、その特異な音楽性と圧倒的なドラミングで、高い評価を得ているミュージシャンだ。
その活動は国内にとどまらない。CDは自らの「磨崖仏」レーベルをはじめ、日本・アメリカ・ヨーロッパなど多数のレーベルから50を超す作品をリリース。海外でも熱狂的な支持を得ている。
達也さんは、ソロ活動のほかにも、自ら率いるグループ・RUINS(ルインズ=遺跡群の意)や大陸男対山脈女、高円寺百景、赤天などのユニットで活躍。さらに、ジャズピアノの菊池雅章、サックス奏者の梅津和時、70年代からフリーミュージックを演奏しているギタリストの灰野敬二ら、実力派ミュージシャンとのセッションにも参加している。
一年に1、2回は海外へ演奏旅行に出かけており、年に3カ月は日本を留守にする。日本にいるときは、渋谷のラママ、高円寺の二万ボルトやショーボートなど、ロック系ライブハウスを中心に演奏活動を行っている。
ドラムとの出会いは岩高時代
ドラムとの出会いは、岩高の吹奏楽部に入り、パーカッションを担当したときだ。
達也さんは、音楽専門誌のインタビューに、次のように答えている。
「ドラムに触りだしたのは、高校に入ってブラスバンドに入ってから。叩くことには、中学校くらいから興味があったんだけれど」吉田達也さんが初めて興味を持った音楽は、小学生のときに聴いたビートルズだった。江刺一中に入ってからはプログレシヴ・ロックを聴きだした。そのきっかけは、NHKテレビの「ヤング・ミュージック・ショー」でピンク・フロイドの演奏を見たことだった。
達也さんは、日本中の石仏の写真を撮り集めて、その写真展を何度か開催している。それも「今から思えば、ピンク・フロイドのテレビを見たこととつながっているかもしれない」と言う。番組の中でピンク・フロイドが演奏していた場所が、石でできたポンペイの遺跡であったからだ。
ヨーロッパ公演のあとなどに達也さんは、その土地の遺跡を訪ね歩いている。
エネルギーと表現欲求が続くかぎり
今後の活動について、「自分がやりたい音楽を創り続けていきます。エネルギーと表現欲求が続くかぎりは頑張っていきたい」と話す。
達也さんは、岩高生に次のようなメッセージをくれた。
「ほかの人と同じことをするのは楽ですけれど、自分にしかできないことを見つけてやってみるのもいいと思います」
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