私がギターと出逢って、20年以上が過ぎました。不思議なもので、こんなに長く付き合っているとギターの方から私に近づいて来ます。決して高価じゃないけれど、私が持たなきゃ粗大ゴミ扱いされそうなギターばかりが集まって、今では「弾く」時間より「いじる」時間の方が増え、家族はすっかり呆れています。妻が風邪をひいても気がつかなかったりするくせに、ギター達の調子が悪いとすぐ心配して、診断(メンテナンス)したり、手術(リペア)をしてあげたりします。ま、私に限らず「趣味人」と呼ばれる同志は皆、きっと同じような暮らしぶりなのでしょう。

 高校生の頃から、自分のギターの色を変えてみたり、部品(パーツ)を交換して調整したりという、初歩的な「いじり」は行っていました。ですから、本格的な「いじり」の世界に踏み込んでいくのには、一切の抵抗もなく、はまるべくしてはまったと言えます。
 さて、そんな私の大きな夢は、岩谷堂箪笥でギターを作る!…いや、決して冗談ではありません。お金は無いけど、けっこう真剣なのです。
 ギター製作に必要な知識と技術は非常に多岐に渡りますが、その中で最も重要なのが、意外にも「木工」技術なのです。もしご自宅のどこかにギターが転がっていたら、ちょっと手に取ってみて下さい。ほらね、世の中のギターはその殆どが「木」で出来ているのですよ。
 日本のギター製作の歴史は浅く、特にエレキギターともなれば、せいぜい私の人生と同じ程度のもので、その流れは「GSブーム」以前と「GSブーム」以後で大きく変化しました。GSブームの前までは、海外ブランドとの契約で輸出用にギターを作るのが主で、生産量もそれほど多くはありませんでした。ところがGSブームの到来とともに、日本のギター産業は猫も杓子も状態で、異業種の参入も増え、かなりの粗悪品も出回ってしまいました。
 輸出用のギターを作っていたとは意外ですが、実はその真相は箪笥製作の歴史と大きく関係しています。ベニヤ材等の普及により、それまでの仕事を失った飛騨や木曾の家具職人達が、家具製作では生き残れない!と頭を抱えて始めたのが、輸出用ギター製作だったのです。元々腕の良い家具職人達ですから、ギター製作なんてとても簡単。質の良い木材だって有り余っています。トントンと契約もまとまり、日本の音楽界とは無縁の所で、Made in Japanと刻まれたギターが無数に船積みされました。
 それだけで十分だったのに、いきなりのGSブーム到来で、国内楽器商からのオーダーが山となり、作っても作っても生産が追いつかない状態ですから、粗悪品が出回るのも当然です。でも今となっては、逆にそれが「イイ味出してる」と評価されたりもしています…。欧米では、昔々腕の良い家具職人が、ギター製作にも非凡な才能を発揮し、技術の基礎を築きつつ、多くの名器を残してきました。ですから、日本の家具職人の話だって、納得できます。
 どうでしょう、ここまで長々説明した上での私の夢。そんなに馬鹿げたものでもないでしょう?事実、1980年代、日本のあるメーカーが「漆塗りギター」を販売したことがありますし、ボディ前面に「彫金プレート」を装着したギターだって存在するのです。こんなに箪笥と密接な関係を持つ楽器なんて、他にありません。浜松のように、江刺を楽器産業の街になんて大きな事は考えていませんが、伝統家具製作の盛んな街だからこそ、持てる夢ではないでしょうか。
 冒頭述べた通り、完成されたギターを「いじる」ことにおいては少々の自信があります。しかしながら、木材加工からとなると、設備もありませんし、手が出せないのが現実です。「作ってしまったら夢でなくなるかも…」という気持ちと、「必ず作ってみせる!」という、家族にとっては全 くどうでも良い悩みを抱えながら、33回目の正月を迎えようとしています。
 益々発展を続ける岩谷堂箪笥。関係者の皆さん、お遊びでかまいませんから、試作でもしていただけません?

伊藤 勝則(平成10年11月記)

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