◎さとう がくげい 昭和13年江刺郡岩谷堂川原町生まれ。
幼少の頃から絵を描くことが大好きでした。国民学校二年生の頃(昭和19年)父親の勧めもあり、当市中町在住の画家、及川豪鳳先生の書道塾にお習字に通う様になりました。しかし、私はお習字にはあまり興味が無く、先生がお習字の指導の傍で脇の机で描いておられた、戦地赴く出征兵士達の千人針の胴巻の虎の水墨画をいつもいつも描いておられました。この事が子供だった私の絵心に実に興味深く、筆の先から生まれ出る魔法の様な瞬間にすっかり舅になって見つめておりました。『もう帰っていいヨ』って言われてもジット観察をしている子供でした。この様な事は五年生位いまで続きました。
また、川原町の生家の向かい側は岩谷堂箪笥の製造元(前田箪笥店)の工場があり当時は小襖の入った立派な茶箪笥が大変多く生産されました。その茶箪笥の襖絵は主に花鳥画で、及川豪鳳先生の筆になるものが殆どをしめました。私はその豪鳳先生の小襖を箪笥製造工場に入りびたりで、来る日も来る日も毎日の様に書写し摸倣をはじめました。この事は中学校の頃まで続いたと思います。それゆえ私の絵画への道の入り口は、幼い時から及川豪鳳先生に私淑したことにより、多大の影響力をいただいたと今も思っております。
その後、会社勤めをしながら昭和41年日本美術学院デザイン専攻科通信課程修了、後に水墨画の権威であった玉川大学主任教授、山田玉雲師に添削指導受く。平成10年絵師として現在も専心中、障屏、襖絵などを手掛ける(当市、中町三番館などに作品あり)

私はこの町に生まれ育ち、そしてふるさとを描き続けて来ました。私にとって岩谷堂は自分の庭であり気心の知れた友人でもあります、地味で目立つことがあまり好きでない感じの岩谷堂人の気風は気づかぬ内に蝕まれ、やがてついこの間までの土蔵の様に時の流れと共に忘却の彼方へと押しやられるところだったものを、まちづくりを推進する若いエネルギーがSTOPをかけ、蔵を通りの前面に引き出し新しい町づくりに活用すると言う・・・。そして商工会議所の募集する計画検討委員会に自ら希望して会員にしていただいたのです。私をこの様な絵師にしてくれたのも、みなこの大好きな岩谷堂の町のお蔭なのだから・・・。

プロフィール
全国肖像画協会 会員
岩手県日本画協会 理事
ら、ふれえど 監事
江刺市芸術文化協会 事務局長
江刺市勤労青少年ホーム油絵教室講師
江刺市絵画同好会 会長
江刺市館山在住63歳

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