安藤広重(歌川広重
 広重は寛政九年(1797年)、幕府定火消同心安藤源右衛門の子として江戸八代洲河岸の同心屋敷に生まれました。十三歳で両親を亡くした後、年少ながらも家督を相続し定火消同心としての勤めを始めました。十五歳になると浮世絵師の歌川豊広に入門し、定火消同心をしながら浮世絵絵師としての修練を始めています。豊広に入門して十年余り二十七歳になった広重は、武士の俸禄を捨て浮世絵師として独立したのでした。広重は師の豊広のもとで存分に絵を学ぶ一方で、色々な画派を学んでいます。しかし、この時期の作品は単に流行を追った作品が多く、自身の画風の確立には至っていません。同年代のライバル歌川国芳が成功を治め、師匠である豊広の死去が広重に大きな影響を与えていた頃、七十二歳の葛飾北斎は『富嶽三十六景』を出版して大評判を呼び、美人画や役者絵に代わって風景画が脚光を浴びるようになっていました。『富嶽三十六景』刊行された年、三十五歳になった広重も季節感と文学的要素を盛り込んだ『東都八景』を描いてようやく自分の進むべき方向を風景画に見いだしたのでした。二年後、広重はそれまでの集大成ともいうべき『保永堂版東海五十三次』を刊行すると、季節感に溢れた自然の中で黙々と生活する人間模様が豊かに表現されたこのシリーズは浮世絵史上空前の大ヒット作となって広重は風景画絵師としての地位を確立したのでした。広重と北斎は風景画の第一人者としてよく引き合いに出されますが、三十七歳年下の広重にとって大先輩の北斎は風景画の先人でもあり様々な影響を受けています。広重が五十二歳の時に北斎が亡くなり、その後六十二才で亡くなるまで風景画の第一人者として活躍しました。

 

☆アダチ版浮世絵版画とは...
 アダチ版浮世絵版画とは、現在で最高レベルといわれる(財)アダチ伝統木版画技術保存財団で認定された彫師、摺師だけの手で製作される浮世絵復刻版画で、江戸時代で最も質の高い初版浮世絵に忠実に作られる木版画のことをいいます。
☆初版浮世絵とは...
 浮世絵の最初に摺られる数百枚までの摺物のことをいいます。これらの浮世絵は、後摺といわれ量産された浮世絵と異なり、浮世絵師と版元が立会いのうえ、校正をしながら制作されるもので、最も作家の意思が反映され、高品質の作品です。現在残っている浮世絵版画の中でも少数しか見られないのが現状です。