江刺は、日本が誇る近代文学者ゆかりの町である。市内には宮沢賢治、川端康成、菊田一夫らの文学碑が点在している。
これらの作家たちに引けをとらない文学者でありながら、意外に知られていないのが昭和29年9月、旧米里中学校の校庭に建てられた小川未明の詩碑である。
いかなる烈風も
若木を折る力なし
伸びれ子供等よ
小川未明(1882〜1961)は、新潟県出身の小説家・児童文学者。新浪漫主義小説、社会主義的小説を発表したのち、児童文学の創作に専念する。昭和21年、日本児童文学者協会の初代会長に就任し、さらに第5回野間文学賞を受賞した。
代表作は『赤い蝋燭と人魚』。大正10年に発表したこの童話は、未明独特の浪漫的なストーリーと力強いヒューマニズムに彩られた児童文学の傑作である。子供の頃、読んだことがあるという人も多いことだろう。
ところで、小川未明は江刺には縁もゆかりもない。なぜ米里に未明の詩碑が建てられることになったのだろうか。
当時の米里村長は佐伯信。佐伯村長は、町村合併を間近にひかえて、また米里地区の教育の発展を願って記念事業を計画していた。村民から「児童文学の第一人者・小川未明先生の言葉を刻んだ石碑を建立したい」という声が上がる。小川未明への碑文の依頼は、佐伯村長の弟で、詩人の佐伯郁郎(当時、岩手大学勤務)によって行なわれた。
しかし、未明は「米里という土地は全く未知であり、イメージのない詩は作れない」という断わりの連絡を入れてくる。だが結局、早稲田の同窓でもある佐伯郁郎の強い要望が入れられ、届けられたのがこの詩であった。
詩碑は、米里村教育委員会によって建てられた。建立の前年(昭和28年)、小川未明は児童文学者で初めて日本芸術院会員になっており、その面からも、米里での詩碑建立は、当時大いに話題になった。
建立までのいきさつは、松淵章さん(米里荒町在住)の著作『おうむしょうじん』に詳しく書かれている。この中には、詩碑建立にまつわるエピソードのほか、米里の歴史のこと、紀行文、松淵さんが折りふしに書かれたエッセイなどが歯切れの良い文体で綴られている。松淵さんの人生の記録である。
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「おうむしょうじん」
(平成8年4月刊行)
印刷/江刺プリント社
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