※18世紀末〜19世紀初頭産業革命 |
|
●アーツ&クラフツ運動(19世紀末イギリス) |
|
建築家オーガスタ・ピュージン(1812-52)から美術批評家ジョン・ラスキン(1819-1900)美術工芸家ウイリアム・モリス(1834-1896)に至るデザイン活動。産業革命以後の工業化が、装飾とデザインの低下をもたらし、ひいては英国の文化と社会の品位を低下させているとの認識から芸術的には中世にビジョンを追い、牧歌的な手工芸に拠り所を求めた。工芸製品と工業製品は一線を画していた。やがて1882センチュリー・ギルド(アーサー・H・マックマドーら)1884アート・ワーカーズ・ギルド(美術家組合)(ウォルター・クレインら)など多くのギルドや工房が設立された。(現代デザイン用語辞典、世界デザイン史) |
1798(寛政10) |
・アロイス・ゼーネフェルダー「石版印刷」発明 |
1818(文政1) |
・ゼーネフェルダーの「石版印刷全書」によりリトグラフの技術が世界に広まる |
1851(嘉永4) |
・5月 ロンドン万博(会場のクリスタル・パレスが有名) |
|
●ロンドン万博(世界初の万博) |
|
工芸家達はそこに陳列された機械生産による製品の趣味の悪さに反発し、工芸の歩むべき道をラスキンが唱えた中世に求めた。ウイリアム・モリスもその一人。やがてこの意識が、1880年代のアーツ&クラフト運動へと展開する。 |
1856(安政3) |
・フランスで葛飾北斎の「北斎漫画」が発見される |
1861(文久1) |
・モリス・マーシャル・フォークナー商会設立 |
|
●ウイリアム・モリスは建築と絵画を学んだマルチ人間だった。 |
|
●1864 アンリ=マリ=レイモン・ド・トゥールーズ=ロートレック=モンファが南仏アルビに誕生 |
1869(明治2) |
・ジュール・シェレがカラーリトグラフの技術を応用して華やかなポスターを実現(世界初のカラーポスター) |
|
●ジュール・シェレ |
|
ポスターによってアートを街頭に持ち込み、ポスターというジャンルを確立したことで、後に「ポスター芸術の父」と呼ばれる。 |
1873(明治6) |
・ウィーン万博(日本参加) |
1874(明治7) |
・エミール・ガレがフランスの地方都市ナンシーに工房設立 |
|
●エミール・ガレ |
|
植物学を学ぶ。1872年にイギリスに渡りモリスらの運動に触れる。 |
|
ナンシーの水利森林学校に留学していた高島得三(画家)により直接的な日本美術の影響を受ける。「鯉魚文花瓶」は北斎漫画の「魚籃観世音」がもと。 |
1875(明治8) |
・モリス商会設立 |
1876(明治9) |
・モネが浮世絵を模写した「ジャポネズリー」を制作 |
|
●当時フランスでは日本美術の愛好家を「ジャポネズリー」と呼んだ。 |
1878(明治11) |
・パリ万博(日本参加) |
|
・ロンドンのピーアス石鹸がカラーリトで、ジョン・エ ヴァレット・ミレイの絵をポスター化 |
|
●1878 ロートレック左足骨折 |
|
1879 ロートレック右足骨折(両足の成長止まる) |
|
1882 ロートレック、パリのアトリエに入門。本格的に絵を学び始める |
1885(明治18) |
・ロートレックと歌手アリスティド・ブリュアンが親交 |
|
・ブリュアンのキャバレー「ル・ミルリトン」がロートレックの作品で印刷物を制作 |
1887(明治20) |
・ゴッホが歌川広重の浮世絵を模写した「ジャポネズリー・花咲く梅の木」を制作 |
|
・アーツ・アンド・クラフツ展示協会設立 |
|
●アーツ・アンド・クラフツ展示協会 |
|
1882年から設立された協会で、ギルドや工房が統合された組織。 |
1888(明治21) |
・サミュエル・ビングが月刊誌「芸術的日本」を刊行し日本美術を紹介(〜1891)英仏独の3カ国語、36号刊行。ヨーロッパ工芸界に刺激 |
|
●サミュエル・ビング(美術商) |
|
ドイツ、ハンブルク生まれ。1871年パリに移住。1875年日本を旅行し多くの日本陶器を持ち帰る。 |
|
・第1回アーツ・アンド・クラフツ展(ロンドン) |
1889(明治22) |
・パリ万博(エッフェル塔が目玉) |
|
●エミール・ガレが日本工芸の影響の濃い作品300点以上出品。 |
|
・ムーラン・ルージュ開店(パリ) |
|
●ムーラン・ルージュ(パリのキャバレー) |
|
開店ポスターはジュール・シェレ「ムーラン・ルージュの舞踏会」。 |
|
ロートレックが常連となり、彼の作品が入り口を飾る。 |
|
・デシャンが雑誌「ラ・プリュム」を創刊。さらに展示ホール「サロン・デ・サン」を開設して「サロン・デ・サン展」を主催 |
|
●サロン・デ・サン |
|
最初のポスターはイベルス(ナビ派)。 |
|
ボナール、ロートレックも個展を開催しポスターを制作。 |
1890(明治23) |
・サミュエル・ビングがパリの官立美術学校エコール・デ・ボザールで浮世絵版画展を開催 |
|
・科学万博(電気宮殿が目玉) |
1891(明治24) |
・ピエール・ボナールが初のポスター「フランス・シャンパーニュ(シャンパン)」を制作 |
|
●ピエール・ボナール(ナビ派の画家) |
|
このポスターがロートレックにリトを手がけさせる契機となったと言われる。 |
|
・ロートレック初のポスター「ムーラン・ルージュのラ・グーリュ」を制作これが彼の芸術の開花となった。 |
|
●ラ・グーリュ(大食い)は踊り子ルイーズ・ヴェベールのあだ名。ポスターの中で踊っているのはカドリールという踊り。 |
1892(明治25) |
・ロートレック「アンバサドゥール:アリスティド・ブリュアン」のポスター制作(この頃より娼婦がテーマの作品に取り組む) |
|
・ミュンヘン分離派結成 |
1893(明治26) |
・ジョルジュ・ド・フール「第5回サロン・デ・サン展」ポスター |
|
●1893年美術工芸誌「ステュディオ」創刊(ロンドン)オーブリー・ビアズリー(1872〜1897イギリス、イラストレーター)を特集、世に送り出す。 |
1894(明治27) |
・モリスに感化されたヴァン・ド・ヴェルドが新しい芸術運動を、「アール・ヌーヴォー」の言葉で初めて表現した。 |
|
●ヴァン・ド・ヴェルド(1863-1957) |
|
(ベルギー出身、1900年ドイツ・ベルリン、1906年ワイマールへ移る) |
|
・サロン・デ・サンでウジェーヌ・グラッセ個展開催 |
|
●ウジェーヌ・グラッセ(建築家) |
|
中世建築と日本美術に影響される。この個展のポスターが代表作となる。 |
|
※この頃パリでアールヌーヴォー隆盛 |
1895(明治28) |
・アール・ヌーヴォー展開催(ロートレック出品) |
|
・サミュエル・ビングがパリのプロヴァンス街に美術工芸品店「アール・ヌーヴォー・ビング」を開店 |
|
●この店の装飾をヴァン・ド・ヴェルドに依頼。ヴェルドが使った「アール・ヌーヴォー」の言葉をそのまま店名とした。 |
1896(明治29) |
・ロートレックがランスの国際ポスター展に出品 |
|
・ミュシャ「第20回サロン・デ・サン展」のポスター制作 |
1897(明治30) |
・サロン・デ・サンで「ミュシャ展」。ポスターをミュシャ制作 |
|
・ウジェーヌ・グラッセ「植物装飾への応用」著作 |
|
・ウィーン分離派結成(初代会長グスタフ・クリムト) |
|
●以後アール・ヌーヴォーの一翼を担う |
1900(明治33) |
・パリ万博(サミュエル・ビングもビング・パビリオンを出店し、大いに注目を集めたため、彼の店の名前「アール・ヌーヴォー」が新しい芸術様式の国際的名称となった) |
|
●ミュシャ、グラッセ、ロートレック、ガレも出品 |
|
●ビング・パビリオンの装飾をジョルジュ・ド・フールらが担当 |
|
・ベガースタッフ兄弟が近代ポスターの先駆と言われる簡潔なタイポグラフィーのポスターを作成。 |
1901(明治34) |
・「コレクション・デ・サン(絵はがき100選集)」発行される |
|
●1901 ロートレック没 |
1905(明治38) |
・ウジェーヌ・グラッセ「装飾的構成の方法」著作 |
|
●グラッセの2冊の著書によってアール・ヌーヴォーが単なる流行にとどまらないことが示された。 |
1914(大正3) |
・第一次世界大戦勃発(〜1918、大正7) |
|
※世界の産業界が標準化・規格化の方向へ進み、アール・ヌーヴォー衰退。 |
1925(昭和1) |
・現代装飾美術・産業国際展(パリ)(アール・デコの呼称誕生) |
|
●Art Deco |