第15回ギャラリー[亀の子館]特別展
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東京芸術大学の中庭に建っている川端玉章先生顕彰碑の側に銅鋳の六角柱が有る。三井家を頂とする画学校の弟子達の名(雅号)と生年月日が刻まれ、その最上段の真ん中に及川豪鳳の名前が連座して居る。 豪鳳は本名を一(はしめ)といい、明治27年(1894)及川直康・よしえの長男として旧岩手県江刺郡岩谷堂町中町(現江刺市中町)に生まれた。父母の希望は商人にすることであったが、父直康が日本画を描いていた影響もあって、少年期から日本画を好み、画業の道に進むことを切望した。高等小学校を卒業後、伯父の助力もあって上京を果たし、大正3年(1914)小石川の川端画学校に入学した。しかし在学中に両親が相ついで亡くなり、唯一援助を惜しまなかった伯父にも逝かれる不運が続き、中央で嘱望されながらも長男なるが故にその道を断念、苦学の末大正7年(1918)同校卒業と同時に郷里江刺に帰った。以後、一度県展に出品した以外はどの画壇にもくみすることなく、ひたすら郷里のために描き続け、父母の生家や妻チヨを始め、江刺内外の多くの方々の暖かい支援のもとで、昭和45年(1970)4月29日に永眠するまでの50年余を書画一筋に歩むことができたのである。 及川豪鳳は四条派(しじょうは・円山応拳系)を継ぐ当地最後の画家であった。代表作には、正法寺(水沢市)の襖絵、光明寺(江刺市)の屏風と襖絵、大安寺(水沢市)の白衣観音像図(掛軸)と屏風絵などがあるが、江刺・水沢周辺の寺院や個人宅などには多数の作品が保存されている。(第1回展より) |
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